【セレッソ】フォルラン引退に寄せ、今、2014年を振り返る。

2014/2015年にセレッソに所属しました世界的なサッカー選手、ディエゴ・フォルランが引退しましたね。

 

 

どちらか言うと悪い意味合いで、思い出に残るシーズンであったフォルランが在籍した2014年と2015年のセレッソ。フォルラン引退に寄せて、この時のセレッソを1セレサポとして振り返ってみることにします。

 
 

 僕の記憶の中でのことを書いてますので、色々違っているかも?ですけど(苦笑)

 
 

2014年1月 フォルラン加入決定のニュース

前年の2013年は、本当に楽しいシーズンでした。セレッソ生え抜き中の生え抜き:曜一朗が8番を背負い、曜一朗に続くセレッソユースの生え抜き:蛍、丸橋、タカ、健勇、拓実らが主力となって大躍進しました。

 

[土塔えんじ:ご覧の提供でお送りします]

 

2014年こそ、このメンバーが主力となって悲願の初タイトル!と思っていた所にビッグニュース!フォルラン加入決定!

入団会見、行きましたね~(笑)

入団会見のどえらい日本語の挨拶、忘れもしません。

ど肝、抜かれる(笑)

この会見見た時、すでに魅了されてましたね。本当に、ワクワクした気持ちを今でも覚えてます。

 
 

何となく上手く行かない → 崩壊していくチーム

 

シーズン開幕。

 
 

ファンクラブ会員特権の先行入場に間に合わないと、長蛇の列に並ばないといけない。タイトルがかかったような試合でもない普通の試合に、何時間も前にスタジアムに行かないといけない。長年、サポーターをやってましたが、そんな信じられない状況になんか浮ついていた感じを覚えてます。

 
 

チーム状況も・・・同じように浮ついている感じでしたね。スタジアムの雰囲気が、チームにも伝わっているような感じでしたかね。

 
 

序盤は何とか食らいつく

 

ACLに参加していた年でもありました。

 
 

ACL出場年は、セレッソは決まってシーズン序盤の調子が上がらない。加えて、監督が変わったこともあって、チームが安定しない。でもって、この年はワールドカップ開催もあって、序盤の日程がかなりの過密日程だったんですよね。

 
 

かなり、セレッソにとっては不利な条件が揃っていたと思います。それでも、ACLは予選リーグを突破。リーグ戦も、悪いなりに勝ちを拾えてた記憶があります。

 
 

でも、夏場を迎え、状況が変わってきます。

 
 

ダメージの大きかった夏場の2試合

この年、最初に大きなダメージを食らった試合は、ACL決勝トーナメント1回戦のホーム:広州恒大戦。

 
 

確かチームの調子が上がってきてた時に迎えた7月のこの一戦で、ポポ将が右サイドバック:蛍という意味不明な采配(広州のムリキ対策やったと思うのですが、あまりに無謀w)、チームは1-5の敗戦。後に振り返ると、この敗戦のダメージは大きかったと思います。

 
 

もう一つは、この翌月のホーム:FC東京戦。

 
 

多分、この年のチーム崩壊の決定打となったと個人的に思ったのが、この試合での蛍の負傷でした。ちょうど、曜一朗がバーゼルに移籍してしばらくしてからの試合で、蛍が負傷したことでチームの軸が無くなった印象でした。

 
 

その後、以下のような感じで自滅していきました(苦笑)

  1. ポポ解任 
  2. ペッツァイオリ就任。夏場の無謀なハイプレスサッカーで自爆。
  3. ペッツァイオリ解任
  4. 大熊弟監督就任。ハイプレスサッカー継続。 
 
 

余談ですけど、ポポさんは大分での実績があったので期待してましたが、レッズ戦のミシャさん(当時レッズ監督)との小学生レベルの言い合いな試合後コメントを見て、アカンわ・・・と思ったのをよく覚えてますw

 
 

監督が変わる中で、出番が無くなるフォルラン

ハイプレスサッカーを標榜したことで、基本的に運動量の少ないフォルランは出番が無くなってきました。

 
 

本当にね・・・なんか悲しかったですよね。フォルランを活かせないというもどかしさは、サポーターにもあって。当時は、よくFWの定義なんかがネット上で議論されていたような記憶があります。FWは、前線から守備をするのが良いか?得点さえ取れれば良いのか?

 
 

個人的には、後者のサッカーを見たかったと記憶しています。でも、大熊弟は『前線で守備をしないと使わない』と言っていて(苦笑)

 
 

で、チームはそのまま降格

 
 

降格決定時かに、海外メディアにフォルランが愚痴った(後に否定)記事が出ましたが、選手・サポーター共々、不満が大きく残るシーズンになりました。

 
 

フォルラン加入で見えたモノ

良くも悪くも、フォルラン加入で色々見えたモノがありました。それらをいくつか。

 
 

チームが利益を思い求めると、既存サポーターが蔑ろになる

フォルラン加入によって、日本プロスポーツチーム内でFacebookのフォロワー数がセレッソが日本1になりました。阪神タイガースをも圧倒的に抑えてたんです(笑)

 
 

フォルランの年俸(6億円)が話題になってましたが、加入の1月から3月の開幕までの広告収入で、フォルランの移籍金・年俸はカバーできた・・という逸話も聞いた事があります。新規顧客獲得で、チームが大きく羽ばたける要素はたくさんありました。

 
 

ただし・・・それはチーム目線で。

 
 

僕のような既存サポーターは、どこか蔑ろにされている感をとても感じてましたね。僕個人のキャラクターの問題かもしれませんけど、なんかね、付いていけなかった部分がありました(苦笑)チームが大きくなると、そういうもんなんかな・・

 
 

好奇の目で見られる

これは、今、ヴィッセル神戸が向けられている目と同じと思って頂ければ、早い話ですかね。

 

[土塔えんじ:いったん、CMです]

 

相手チームの選手は、当然、『セレッソだけには負けてなるモノか!』とマークが厳しくなってくる。

 
 

他チームのサポーターは、『フォルラン見れるのは楽しみ。ただ、セレッソが負ければ更におもろいw』な目で見てくるんですよね・・・はい、今まさにヴィッセルをそういう目で見てます(苦笑)

 
 

日本人のダメな所なのかな?判官贔屓が強すぎて、成金の失敗ほど愉快なものはない。そういう感覚が、この年のセレッソに対して向けられているのは強く感じました。こういう雰囲気の中で、サッカーというのはなかなか楽しめるものではなかったですね。

 
 

フォルランに罪はないはずなんですけど・・ね。

 
 

フォルランのスーパープレイ

先の2つが後ろ向きだったので、前向きに。

 
 

フォルランはセレッソ大阪在籍1年半で、リーグ戦で何点取ったでしょうか?

 
 

答えは・・・

17ゴール

14年:7ゴール、15年:10ゴール。15年はJ2ですけど、14年の後半をほとんど出てないことを考慮すれば、実はかなり取ってるんですよね。

 
 

傍から見るとJ2降格でパッとしない印象しかないと思われますが、フォルラン個人で見ると、良いとは言えないですが、そこまで悪い数字でもないのですね。

 
 

大阪ダービーの2ゴールとか、今でもはっきりと覚えてますしね。J2時代にハットトリックをして、試合後に記念として試合で使われたボールを確保してたのも印象に残っています。フォルランにゴールを取られた相手チームサポさんは分かると思うのですが、本当にクオリティの高いゴールが多かった。

 
 

また、個人的に15年シーズンになりますが、蛍とのコンビプレーがとても印象に残ってます。

 
 

ずっと試合を見ていくと、フォルランが一番信用していたのは間違いなく蛍でした。蛍がボールを持てば、フォルランは極上の動き出しを見せてたんですよね。そこに、蛍もピタッと合わせるボールを送りこんでまして。本当に息が合ってた。フォルラン退団セレモニーの時、蛍のユニフォームを貰ってたのも印象に残ってます。

 
 

フォルラン獲得を失敗と評されるのですが、こういったプレーや光景はセレサポの特権だったんですよね。

 
 

フォルランにはありがとう

フォルランには、やはり、

ありがとう

と言いたいですね。一時期は、本当に夢のような時間を過ごせました。悪夢も経験しましたけど(苦笑)これからも、活躍を期待しています。

 
 

He came from Uruguay . Cerezo’s NO.10

 

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