【我が子への残言】 東日本大震災の記憶(4)まとめ

東日本大震災で経験した記憶を長々と書いてきました。

 

【我が子への残言】 東日本大震災の記憶(1)当日の記憶

【我が子への残言】 東日本大震災の記憶(2)次の日以降の記憶

【我が子への残言】 東日本大震災の記憶(3)数か月後までの記憶

 

ようやっとまとめです(苦笑)箇条書きで、こどもに伝えたいことをまとめます。

 

【我が子への言葉】

地震(災害)発生の時に

●大災害が起きた時、電話は回線がパンクして繋がらなくなることが多いんだ。ただ、ネットは生きている可能性が高い。今でいうなら、LINEなんかは使えたようだね。父さん母さんもそうだけど、こういったときの家族での連絡手段をまとめておこうね。

 

●町もパニックになる。冷静に対応するのに、友達や家族の助けは必要だと思う。父さん母さんが帰宅難民になりかけた時、友達が情報を教えてくれていてとても心強かったんだ。もし逆に友達がそういう状況である場合は、友達とかを助けるんだよ。

 

●地震発生後しばらくすると、地震の影響による被害とかあまり良い情報ではない報道が出たりする。そういう報道を見ていると、自分自身も苦しくなることがあるんだ。そんな中、父さんたちも微力ながら協力しようと節電とかしていて、陰鬱な気持ちに落ちていくのを感じていた。多少は仕方がないんだけど、自分自身が苦しくなる場面には注意しようね。

 

一緒に考えて欲しい

●東日本大震災では、原発事故が起こって、大きな被害が出た。だから、原発の是非が問われることになった。原発は安価で大きなエネルギーを生むのも間違いないけど、いったん、事故が起こると数十年単位で被害が及ぶことも間違いない。原発は今後も必要なんだろうかね?一緒に考えていこうね。

 

●被災者の方々が多くいる時、自分自身は楽しんで生活して良いのだろうか?そんな気持ちになるときがある。心から笑うことが許されない風潮に陥る場面もある。でも、前に進んでいかないといけない。そういった時、どうすれば良いか?これも一緒に考えよう。

 

2019年3月時点で、子供2歳。何歳くらいで、こんな真面目な話ができるようになるんかな(苦笑)?

 

最後に少しだけ、発信することの力

このサイト自体に大した発信力はないんですけど(苦笑)でも、発信することはとても大きな力になるのだな?と感じたのもまたこの地震の時だったりします。

 

手前味噌な感じですけど、当時、仲間内で協力して某地域に救援物資を送ることをしました。ボランティアとか普段してる訳ではなく、何故この時はしようと思ったのか?それは、嫁の友達の友達がこちらの地域に住まれてる方で、この方からの発信があったから。

 

今、こういうモノが足りません。もし、送っていただけるなら、それらを送ってください。

具体的な言葉で送られてきました。こういう発信を見ると、動きやすいですよね。

 

実際に、この方の地域はそういう発信力が凄い地域だそうです。当時、津波の影響で交通網が寸断され、物資を送るのもままならないような状況下にあったのにも拘らず、この地域はその周辺地域と比べて送られてくる物資の量がダントツで多かったそうです。実際、御礼状みたいなものをブログに挙げられていて、体育館一杯に届いた物資が置かれている写真も見かけました。(色々調べると、物資が多く届いてしまうのも問題な側面があるようですが)

 

国とか公共機関の物資供給だけを宛にするのではなく、自ら発信できる・・・それだけで、大きな差となって表れる。

 

助けて欲しいと言えるのは、とても大きな力なんだなと、この方に教えられたような気がします。

 


 

そんなところで、この投稿をとりあえずのまとめとして〆ます。年一回、これらの記事を自分でも見直して、地震の記憶が風化しないようにしたいなと思います。

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