学歴社会に高学歴が苦しむ

昨今のような学歴社会であっても、高学歴な方が苦しんでいるパターンがあるのをご存知でしょうか?

 

自分も子供を授かってからより敏感に感じるのですが、教育熱心な親御さんはとても多いですね。小学校入学前からの習い事、小学校低学年から塾通いをさせる方々をよく聞きます。自分らの時代の受験(1990年前~中)からは想像がつかない。高学歴と認められて将来安定の礎にさせてやりたい、、という親心が見えます。
 

[土塔えんじ:ご覧の提供でお送りします]

 

ただ、多くの社会人の方々が見聞きしたことがあると思うのですが、

『高学歴の人』が『出来る社会人』になるとは限らない。

のですね。学生時代のテストで点を取ることは出来たのだろうけど、要領が悪いとか的を射ない人。そんな人は社会に出ても、その人の学歴から周囲が期待するような結果を出すことが出来ない。

 

で、こういう人は、大なり小なりこう言われます。

『〇〇大学(高校)出身なのに、なんで出来ない?』

こういう経験をしている高学歴な人は、少なからず居ます。そしてその人曰く、この言葉はパワハラにも近い言葉に感じるようです。そして、自信を失う、更にミスる、『〇〇出身なのに、、』と言われる、自信を失う、、、の負のスパイラルに陥ってしまう、と。

 

実際、その人の結果を見ると周囲の人とそれほど変わらなかったりする場合もあります。が、高学歴から来る高過ぎる期待を超えることができずに、結果が出てないように見られて苦しんでしまう。

 

残酷な言葉やな、、と思いますね。言っている人は何気ない言葉なんでしょうど、立場を変えてみると、、、ね。

 

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高学歴はその人の資質ではあるけど、出来る社会人になる保障ではない。この前提条件をすべての人が把握して、学歴だけで大きな期待をその人にかけないようにする。学歴社会は崩壊して能力主義へと変わりつつあると言われますが、人の心に学歴だけで判断する思考が残っている限り、学歴社会の完全崩壊はないのではないか?と思います。

 

また、そういう状況に陥る可能性があることを踏まえ、子供にどう受験をさせるのか?高学歴が引く手あまたなのも現状、間違いでないところですしね。考えれば考えるほど、難しい問題やな~と思います。

【我が子への言葉】

高学歴になればなるほど周囲の期待は上がる。その時に求められるハードルも高くなる。

 

基本的には行きたい所に行けばよいが、学歴はぼちぼちでも良いかも知れない。それよりも、社会を生きていく術を学んで行こう。父も知る範囲で教える。そして、父も知る範囲を増やすために学ぶ。
 

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