【失敗から学ぶ】『凄い!』と人から言われてたけど、、、
人から『凄い!』と言われると、嬉しいものですよね。多くの人もそうだと思うのですが、僕は人から『凄い!』と言われたいです。
幼い頃は、結構簡単に『凄い!』を得ていたように思います。『旅行でどこどこに行った!』とか、『何々を買ってもらった!』とかで、友達から『凄いな!』と言われて鼻高々になってました(笑)特に、何も凄いことはないのですけどね、、、(苦笑)
[土塔えんじ:ご覧の提供でお送りします]
中高生、大学、社会人と成長していっても、そういった傾向はありました。
高校時代、後にプロサッカー選手となる同期生がいました。彼は高校年代から有名だったし、当時、Jリーグ開幕当初のバブル人気だったのも手伝って、同期生にサッカーの有望株がいるのは一種のステータスになってました。
他高校に通う僕の友達とかから羨望の眼差しで見られることも多く、それがとても気分が良かったことを覚えています。(ちなみに同じクラスにはなってないので、友達ではないですw)
でも、自分が大きくなってから気付いたのですが、これらの場合、
『凄い!』と言われてるのは、自分自身ではない。
のですね。
当たり前なんです。当たり前なんですけど、当時の僕は気付いていなかった(苦笑)
『旅行に行った』『物を買ってもらった』はお金を出した親が凄いし、同期にサッカー有望株が居るのも当然その有望株が凄い訳でね。自分とは違う対象を見て、『凄い!』と言っているだけで。
整理してみると、人から『凄い!』と言ってもらえる対象は2つパターンがあるように思います。
- 自分が持っているもの
- 自分が為し得たもの
[土塔えんじ:いったん、CMです]
自分が持っているものに対しての『凄い!』は、単純に羨ましいということなんですね。なになにを買ってもらった、どこどこへ旅行に行った、同期生にサッカーの有望株が居る。全部、羨ましいに該当すると思います。
対して、自分が為し得たものに対しての『凄い!』は、まさに『凄い!』な訳で。本来、このことのみで『凄い!』は使われるべきなんでしょうけど、日本語厄介w
若いころの僕は、この2つの区別がついていませんでした。だから、自分の持っているものを広げて『凄い!』と言ってもらえて満足していました。
そして、何かを為すための努力を怠っていた。過去を振り返ってみて、本当に反省する部分なのかと思います。
これに気付いてからの人生の目標にもなっているような気がしますが、凄いと言われる後者の、
為し得ること
残りの人生、これは頑張りたいなと思います。つまりは、努力すること・実施することの継続ですよね。
自分自身の為し得たものに対して、『凄い!』と周りに言わせたい欲はある。
ただ、オッサンの領域になると、その欲と同じくらいの諦めも出てくるのですけど(苦笑)
せめて、もう少し若いときに気付いたら、、、とか思ってしまったりで、、、情けない(苦笑)
何とか諦めと戦いつつ、今からでも人から『凄い!』と言わせるよう頑張ります(笑)
子供にも、自分のようにはなって欲しくないの一番に挙げるところです。
【我が子への言葉】
人から言われる『凄い!』は、何が対象になっているか?をよく考えよう。持っているモノではなく、何かを成し遂げてから『凄い!』と言われるようになろう!努力と継続は大事。